ラグビー日本代表の司令塔(10番)、松田力也選手。
松田力也選手は高校時代から10番を背負い、大学時代には1年次から10番を任されたことからもその能力の高さが伺えます。
そんな松田力也選手がラグビーを始めたのは若くして他界した父親の影響だったそうですが、その死因や享年に胸が痛みます。
また、現在も活躍し続ける松田力也選手を支える家族(母・兄弟・嫁・子供)はどんな人なのでしょう。
この記事では「松田力也の父の死因や享年は?母や兄弟・嫁や子供の家族構成も!」として、父親の死因や享年、母や兄弟、そして結婚したお嫁さんや子供さんについてご紹介します。
松田力也の父の死因や享年は?どんな人?
松田力也選手の父親は、松田力也選手が小学校5年生の時に他界されました。
死因はくも膜下出血で、享年39歳と言う若さでした。
その日、父親の大輔さんが見守る中、試合中に怪我をして救急車で運ばれた松田力也選手。
病院の治療に付き添い自宅に帰った父親は、頭の痛みを訴えつつ仮眠をとっている間にくも膜下出血を起こし帰らぬ人となりました。
幼かった松田力也選手は「自分がけがをしなければ、違う未来になっていたんじゃないか」と自分を責めたと言います。
2005年12月25日、クリスマスの日の出来事でした。
父親は元ラグビー選手
松田力也さんの父親はユニチカの社会人チーム『ユニチカ・フェニックス』に所属する元ラグビー選手だった時期のある松田大輔さんです。(その後飲食店経営)
松田力也選手は幼い頃から父親が試合をする姿を見て育ち、ラグビーボールで遊ぶことも多々あったのではないかと想像します。
松田力也選手の名前を付けたのも父親だそうで、格闘技のように『力と力がぶつかり合うスポーツ』のラグビーにちなんだ名前にも思えますよね。
父親の松田大輔さんは力也さんの誕生や成長を誰よりも喜び、楽しんでいたのではないでしょうか。
元々はプロ野球選手になりたいと思い小学校入学前に少年野球チームに入ろうと考えていた松田力也選手ですが、3年生まで加入できない現実に父親が勧めたのがラグビークラブでした。
父親と同じラグビーに導かれる運命だったのかもしれませんね。
父親との約束
オール京都に選ばれたことのある父親は、幼い松田力也選手に『高校ジャパンに行ったら、お前の勝ちでいいよ』と伝えていたそうです。
父との悲しい別れの後「ラグビーをやっている時は何も考えずにいられた」という松田力也選手はラグビー強豪校の京都市立伏見工業高等学校へ進学し、高校2年生で高校日本代表に選ばれています。
それは父を超えると言うより、ひとつの約束で目標としてきたことだそうです。
また、毎年父親と観戦した全国高校ラグビー大会で「僕がお父さんを花園に連れて行ってあげるよ」と交わした約束も、2度の出場で叶えています。
きっとお父様に届いていますね。
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/お父様にも届けたい\
松田力也の母はどんな人?兄弟はいる?
松田力也選手には母親と妹がいるそうです。
母親
詳しい情報は見つかりませんでしたが、松田力也選手は母親が父親の心臓マッサージをしていた光景を覚えているそうです。
母親にとってもどんなに不安で心細かった事かと想像しますが、残された子供たちを守り育ててこられた立派な母親ですね。
ラグビーをする息子の姿が、どんどん夫の大輔さんと重なり頼もしく感じているのではないでしょうか。
妹
松田力也選手に妹さんがいるとの情報はありましたが、年齢はわかっていません。
ですが確実に松田力也選手よりも幼い頃に父親との別れを迎えている訳で、おそらく妹さんにとって兄の存在を心強く感じた事も多かったのではないでしょうか。
松田力也の結婚した嫁や子供の家族構成
松田力也選手は結婚されています。
結婚の時期やお相手の女性については触れられていませんが、2018年のインタビューで結婚していることを認めています。
また、子供さんがいるかどうかは確認することが出来ませんでした。
よって、家族構成は結婚したお嫁さんと、実家に母親と妹さんが居る事しかわかっていません。
もしも子供さんがいて(産まれて)男の子なら、3世代に渡ってラグビー戦手となるかもしれませんね。
まとめ
この記事では「松田力也の父の死因や享年は?母や兄弟・嫁や子供の家族構成も!」としてラグビー日本代表の松田力也選手の家族についてご紹介しました。
松田力也選手の父親は39歳の若さで、くも膜下出血により他界していることがわかりました。
また、詳しい情報は見つかりませんでしたが、松田力也選手には母親と妹さんがいるようです。
さらに、松田力也選手は結婚していてお嫁さんがいらっしゃいます。
子供さんがいるかについては調査中です。
最後までお読みいただきありがとうございました。